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仙台高等裁判所 昭和47年(う)77号 判決

主文

本件控訴を棄却する。

理由

本件控訴の趣意は、仙台地方検察庁検察官検事桑原一右名義の控訴趣意書および仙台高等検察庁検察官検事中村弘名義の控訴趣意書の訂正申立書記載のとおりであり、これに対する被告人高橋についての答弁は弁護人小林昶名義の(ただし二枚目表一一行目の「ない」を「ある」と訂正)、同萩原についての答弁は弁護人佐藤裕、同袴田弘共同名義の(ただし一枚目裏九行目の「立証趣旨」を「立法趣旨」と訂正)各答弁書記載のとおりであるから、ここにこれらを引用する。

控訴趣意第一(法令の解釈適用の誤り)について。

所論は要するに、原判決は、被告人萩原に対する頭書の宮城県条例(以下宮城県公安条例と称する。)違反の公訴事実に対し、宮城県公安委員会の付した条件違反の事実を認定しながら、集団示威行進はそれが道路において行なわれる限り、道路交通法による規制を免れず、道路における交通の安全と円滑を図るとの観点から同法に基づき所轄警察署長によつて付された条件に違反したものには罰則が科されるものであるから、これと全く重複した領域を宮城県公安条例によつて規制することは右道路交通法に抵触して許されないものといわなければならない、との前提をもうけ、宮城県条例は、その四条二項により公安委員会の付した条件に違反したものに対し、道路交通法が道路使用条件違反につき定めた罰則の法定刑より重い法定刑を定めているうえ、その罰則の適用される範囲が、主催者、指導者、煽動者等に限定されていないから、付与される条件の意味、内容が特に明確にされる必要があるとしたうえ、集団示威行進が条件違反に当るとしても、それがいまだ道路交通の秩序を乱すにとどまつてその範囲を出でない場合には、道路交通法に基づき所轄警察署長によつて付されるに適した条件であるということができ、したがつて宮城県公安条例においては、右の内容の事項を除き、集団の無秩序または暴力行為に対し、公衆を保護するために必要な事項に限つて公安委員会において条件を付することができる旨、同条例により付与される条件の意味、内容を特に縮限する解釈を示したうえ、本件において、公安委員会により付された「行進中旗竿等を支えにしてスクラムを組まないこと」の許可条件は、同条例によつて付することができるとされている「集団の無秩序または暴力行為に対し、公衆を保護する」ための必要最少限度の事項を越えたものであるから無効であるとし、本件につき無罪の言渡をした。しかしながら、原判決は、以下述べるように、その前提とするいわゆる公安条例と道路交通法との関係について、最高裁判所等の判例と相反する誤つた判断をなし、その結果、宮城県公安条例四条、五条の解釈適用を誤つたものである。すなわち

一、道路交通法は道路における危険を防止し、その他交通の安全と円滑を図ることを目的としているが、公安条例の規制の目的は単なる道路交通秩序の維持にとどまらず、公共の安寧、秩序の維持にあるのであるから、原判決が、道路交通法の規制と重複した領域を公安条例によつて規制することは許されないとしているのは、右両者による規制の対象を同一事項のようにみる点において、事の本質を見誤つているものといわなければならない。これを本件についてみても、宮城県公安条例四条二項により公安委員会が付した本件許可条件は、その外観において一見交通秩序維持に関する事項のようにもみられるが、それは交通秩序そのものを維持する目的で付せられているものではなく、「集団の無秩序又は暴力行為に対し公衆を保護する」ことを目的として、道路というきわめて公衆の安全に危険が及びやすい場所において、集団行動の形態をもつて交通秩序をみだす行為に出ることは、それが公衆の安全に対する侵害を招来する蓋然性が強いことから、その蓋然性の強い事項を定型的に選び出し、許可条件としているものと解すべきであつて、原判決が同条例による許可条件と道路交通法による道路使用許可条件とを、同一ないし重複するものと観念していることは誤りである。

二、原判決が前提としているいわゆる公安条例と道路交通法の関係についての判断が誤りであることは前述のとおりであり、もともと「その条件内容がとくに明確にされる必要がある」という点は、宮城県公安条例の制定の根拠、目的および公安委員会の権限による集団示威運動等を許可するに当り必要な条件付与により犯罪構成要件が補充されることに照らし、罪刑法定主義の原則から当然のことであり、原判決が説示するがごとき理由から要請されるものではないのであつて、同条例の定める法定刑の軽重あるいは罰則の適用範囲を限定するか否かは単なる立法政策の問題であり、原判決のいう必要性から条件の意味、内容が特に縮限されなければならない理由は存しない。宮城県公安条例により付与される許可条件の効力ないし適否は、地方自治法二条三項一号に定める「地方公共の秩序を維持し、住民及び滞在者の安全、健康及び福祉を保持する」目的のもとに同条例四条二項の定める「集団の無秩序又は暴力行為に対し、公衆を保護する」ために、必要かつ最少限度の事項であるか否かの観点から決定すべきである。もとより集団示威運動は、憲法二一条の保障する表現の自由の一形態であるから、最大限の尊重を要することは言を待たないところであるが、これとても無制限ではなく、常に公共の福祉による制約を受けることもまた明らかであり、昭和三五年七月二〇日最高裁判所大法廷判決(最高裁刑集一四巻九号一二四三頁)もこの理を「地方公共団体が、……集団行動による表現の自由に関する限り、いわゆる『公安条例』を以て、地方的情況その他諸般の事情を十分考慮に入れ、不測の事態に備え、法と秩序を維持するに必要かつ最少限度の措置を事前に講ずることは、けだし止むを得ない次第である。」と説示するところである。右のとおり、もともと集団示威運動は、一面において、憲法により保障される「表現の自由」としての権利行為である反面、それが多数人によつてなされるため、個人の場合とは比べものにならない公共の安寧すなわち社会秩序と一般公衆の日常生活の便益に対する影響力を有するが故に、この点の規制を受けざるを得ない面を持つのであつて。いわゆる公安条例は集団行動の持つ右の二面性を調和するための技術的制度といえる。したがつて、公安条例および同条例によつて付される許可条件の解釈に当つても、右のいわば対立利益の調整という見地から調和のある解釈がとられるべきであつて、一面において、集団示威運動のもつ「表現の自由」の権利性を尊重すべきであると共に、他面において集団行動は、平穏に秩序を重んじてなされる範囲においてのみ憲法二一条により保障されるものであるから、公共の安寧保持のため付せられた条件が、それに従つた場合において集団行動の意思の表明に不自由ないし支障を与えるか否かも重要な解釈の指針として考慮すべきである。宮城県公安条例は、右の見地から集団示威運動について、対象地域における道路の広狭、交通量の繁閑等の地方的情況や、その他諸般の事情を十分考慮に入れて、予想される不測の事態に備え事前措置をとる目的をもつて制定され、その目的のため公安委員会に対し、許可条件を付する権限を与えているものであり、公安委員会は、それに基づいて本件の「行進中旗竿等を支えにしてスクラムを組んではならない」旨の条件を付しているものである。しかして右条件は、原判決も説示するとおり、「旗竿等を支えにしてスクラムを組む」と、先頭部分に行進集団の物理的エネルギーが集中し、いきおい蛇行進等に移行しやすく、それらの行為と相俟つて他の通行の妨げになるばかりでなく、一般の人車や、集団行進の参加者自体にも危害を及ぼす蓋然性があり、また現実の経験則に照らしてもその蓋然性がきわめて高いことから、その危険を防止する目的で、その危険をもたらす蓋然性の強い行為を禁止するため付せられたものであり、その文言からみてもなんら特定、明確性を欠くものではないうえ、これを本件についてみると、本件各デモコースは仙台市内の中心街で一般通行人や自動車の往来が頻繁な道路であり、また東一番丁通りのごとく、両側に公衆多数の出入りする商店等がしつ比し、しかも路幅の狭あいな道路を含んでいる等の事情に照らせば、「集団の無秩序又は暴力行為に対し公衆を保護する」ためにけだし当然必要な最少限度の条件と認められるのであつて、右の条件が付せられたからといつて、本来平穏に秩序を重んじてなされるべき集団行動になんら支障も不自由も与えないばかりか、かえつて集団行動の参加者自体の保護にも役立つことからすれば、適法、有効な条件であることは明らかである。さらに原判決は、宮城県公安条例により付される許可条件の意味、内容を縮限して解釈しなければならないとの誤つた解釈のもとに、「本件許可条件は一見宮城県公安条例にもとづいて公安委員会の付することができる条件のように考えられないではないが、ここでも右の条件違反の行為がただちに公安を害するものではなく、これが蛇行進、うず巻行進と相俟つてはじめてそのような事態にたち至る可能性をはらむというに過ぎないのであるから、蛇行進、うず巻行進を除き、この条件のみを独立して抽出し、宮城県条例による条件として付することには疑問がある」とし、「本件許可条件は、その文言自体からすれば、結局集団が単に棒、旗竿などを支えにしてスクラムを組む行為を行なえば、蛇行進、うず巻行進にかかわりなく、処罰の対象となるといわざるを得ない。そうである以上、本件においては前述のように蛇行進、うず巻行進についてすら道路交通法で処罰すれば足りるとして運用されているのであるから、本件許可条件のみでは道路交通法によるよりも重い法定刑の設けられている宮城県公安条例によつて付することができるとされている必要最少限度の事項を越えたものと認めざるを得ない」旨説示するが、宮城県公安条例四条二項は、条件付与の要件を規定するのみであり、同条例五条も違反者に対する法定刑を掲げているにとどまり、構成要件上、特に社会秩序に著しい障害や危険をもたらす等の結果の発生や、具体的危険の発生を要件としていないのであり、もともといわゆる公安条例は、集団行動が社会秩序と一般公衆の日常生活の便益に危険を及ぼす事態になつた場合、警察力をもつてもいかんともし難い事態に発展する危険が存在することから、そのような事態に立ち至る事前の段階において、秩序ある集団行動の実施を確保しようとするものであるから、そのような危険が具体化するまでは規制ができないとするならば、公安条例の存在意義が没却されることになるから、公安条例違反の犯罪の性質は抽象的危険犯と解するのが相当である。してみると、原判決も指摘するごとく、「集団が旗竿などを支えにしてスクラムを組み、蛇行進等に及んだ場合、勢いの赴くまま公安を害するおそれのある事態にまで発展する可能性を一概に否定することができない」以上、本件の「旗竿等を支えにしてスクラムを組んではならない」との許可条件を独立して抽出したからといつてなんら異とするに足らないし、この許可条件に違反する行為を行なえば、処罰の対象とならざるを得ないことはまことに当然のことであり、また、原判決が、たまたま条件付与の技術的な運用上、現実に道路交通秩序をみだす行為類型である蛇行進等の禁止を道路交通法により付与する条件となし、「公安を害する」に至る蓋然性が強く、それのみでは直ちに道路交通秩序をみだす行為類型に当るといえない「旗竿等を支えにスクラムを組んではならない」との条件を公安条例によつて付与している点を捕え、「蛇行進等についてすら道路交通法で処罰すれば足りるとして運用されている」との理由から本件条件の効力を論ずることは、いわゆる公安条例の立法趣旨ないし条例全体の精神を理解しないことに基づく皮相的見解である。

以上のとおり、原判決には宮城県公安条例の解釈適用の誤りがあり、この誤りは判決に影響を及ぼすことが明らかである旨主張する。

よつて審按するに、記録を調査すると、原判決が原判示第二の被告人萩原の道路交通法違反の各事実につき挙示する証拠をそれぞれ総合すれば、同被告人に対する昭和四四年七月二一日付起訴状記載の宮城県公安条例違反の公訴事実については同被告人が右公訴事実のとおり前後三回にわたり集団示威行進をするに当り、宮城県公安委員会から付された許可条件に違反した事実はこれを肯認することができる。そしてまた、原判決が同被告人に対する宮城県公安条例違反についての無罪理由として掲記する「二 本件条件付許可処分の手続と内容について」の項において挙示する証拠を総合すれば、原判決の認定するとおりの経過をたどつて、各集団示威行進について宮城県公安委員会の許可書に条件を付されて許可されたこと、右各許可書に付された条件の内容は細部においては異なるものの、いずれにも共通して「行進中、旗竿、プラカードなどを支えにしてスクラムを組み、またはこれらを振りまわすなどの行為をしないこと。」の条件が付されていることは原判決の認定するとおりである。(なお、このほか、右公訴事実第一の集団示威行進については、宮城県公安委員会委員長早坂冬男作成の昭和四四年四月二五日付許可書によれば許可条件として、一、主催者または現場責任者は、その役職を明らかにした標識をつけ所在を明らかにして参加者の指揮統制を行なうこと。二、兇器、戎器となるような竹、棒など携行しないこと。四、著しくけんそうにわたり一般住民とくに官公庁、学校、病院等の業務の妨害となるような行為をしないこと。五、主催者、現場責任者ならびに指揮者は、解散地の場所に到着した各隊順に流れ解散するよう指揮すること。の条件が、同第二のそれについては、同じく同年五月三一日付許可書によれば、許可条件として、一、鉄棒、こん棒、石、その他危険な物件を携行しないこと。三、著しくけんそうにわたり、一般住民とくに官公庁、学校、病院、会社、商店等の出入口を塞ぐなど業務の妨害となるような行為をしないこと。四、解散地では、到着順にすみやかに流れ解散すること。の条件が、また同第三のそれについては、同じく同年六月一三日付許可書によれば、右第二についての許可書の許可条件の一および三と同様の条件が付されていることが認められる。)

そこで、所論にかんがみ、まず道路交通法と宮城県公安条例との関係について考察すると、道路交通法は、同法一条に規定するとおり、道路における危険を防止し、その他交通の安全と円滑を図ることを目的としているが、宮城県公安条例は、地方自治法二条三項一号、一四条に基づくもので、地方公共の秩序を維持し、住民および滞在者の安全、健康、福祉を保持することを目的としているもので、これを集団示威行進に対する事前規制の面についてみれば、道路交通法七七条一項四号、三項は、集団で道路を使用することによつて生ずる道路における危険を防止しようとするのに対し、宮城県公安条例は、集団が暴徒化することによつて生ずる公共の危険を防止しようとするにあり、したがつて両者はその規制の趣旨、目的を異にするものであることは所論のとおりである。ところで、宮城県公安条例による集団示威行進の許可に至る手続経過については原判決の認定するとおりであり、宮城県公安条例に基づく公安委員会の許可および条件の付与に関しては、その事務が公安委員会訓令により宮城県警察本部長(以下県警本部長と称する。)に委任されているところ、原審第八、九、一一回公判廷における証人佐々木繁男の供述記載によれば、同人が県警本部警備課警備実施第二係長として県警本部長の下にあつて公安条例の事務の掌に当つており、集団示威行進の許可申請があつた場合には、所轄警察署長の道路交通法上の許可書に付与された条件の内容を参考にして、右警備実施第二係において、公安条例による許可書に付与すべき条件を起案しているのであり(道路交通法と公安条例との関係からすれば、この取扱いは正当と認められる。)、被告人萩原が本件において違反したとされている前示条件は、少なくとも当該事務分掌者としては宮城県公安条例四条二項の「集団の無秩序又は暴力行為に対し、公衆を保護するため」必要な条件であるとの考えから起案し、上司の決裁を得たものであることはこれを認めることができる。この点に関し、原判決は、被告人萩原の宮城県公安条例違反についての無罪理由の三において、「集団示威行進は道路で行なわれる限りは道路交通法による規制を免れず、道路における交通の安全と円滑を図るとの観点から、同法に基づく所轄警察署長によつて付された条件に違反した者には罰則が科されるものであるから、これとまつたく重複した領域を宮城県公安条例によつて規制することは右道路交通法に抵触して許されないものと言わなければならない。」と説示しているところ、所論はこの点を捉えて、原判決は、両者による規制の対象を同一事項のようにみ、同条例による許可条件と道路交通法による道路使用許可条件とを同一内容ないし重複するものと観念していること自体が誤りであると主張する。よつて検討するに、宮城県公安条例は、地方自治法二条三項一号、一四条に基づいて制定されたものであることは前示のとおりであり、行列行進または集団示威運動について、その四条は、「公安を害する虞がないと認める場合」は許可を与えなければならないけれども、その場合において「集団の無秩序又は暴力行為に対し、公衆を保護するため必要と認める条件を付」して許可を与える権限を公安委員会に認めるとともに、五条において、その違反者に対し、「一年以下の懲役又は五万円以下の罰金に処する」旨を規定しており、道路交通法がその七七条三項により所轄警察署長が付した条件に違反した者に対しての罰則として定めた一一九条一項一三号の「三月以下の懲役又は三万円以下の罰金」よりその上限においてはるかに重いことにかんがみれば、宮城県公安条例において規制、処罰の対象となすべき事項は、道路における交通の安全と円滑を目的とする道路交通法におけるそれと異なり公衆の生命、身体、財産に対する危険性の高度のものであることを必要とするものと解するのが相当であり、道路交通法によつて規制でき得る領域のものまでも宮城県公安条例によつて規制することは、地方自治法一四条一項の趣旨に照らし、道路交通法に抵触して許されないものといわなければならない。所論の指摘する、原判決が右無罪理由の「三 宮城県公安条例にもとづく本件許可条件の有効性」の冒頭において、「これ(道路交通法による規制)とまつたく重複した領域を宮城県公安条例によつて規制することは右道路交通法に抵触して許されないものと言わなければならない。」旨説示した趣旨は、右無罪理由三の全文をつぶさに検討すれば、右判断と同旨の観点に立脚し、その観点から右のように説示したものと解されるのであつて、その文脈からすれば、原判決は、所論のように、両者の規制の対象を同一ないし重複するものと観念しているものとはとうてい認められないところである。

前叙のとおり、道路交通法における道路使用の許可条件と宮城県公案条例における許可条件とは同じ集団示威を対象としてはいるものの、道路交通法と宮城県公安条例とはその趣旨、目的を異にし、かつ規制の領城を異にしているものと解する以上、本件において、宮城県公安条例により公安委員会が付した許可条件は前示の観点からその有効性が検討されなければならないことは論を待たないところである。

そこで右の見地から原判決に宮城県公安条例四条二項、五条の解釈につき誤りがあるかどうかについて検討する。原判決は、まず、所論指摘のとおり、宮城県公安条例による許可条件の違反者に対する罰則の法定刑が道路交通法による道路使用許可条件の違反者に対するそれよりも重いことおよび同条例においては罰則の適用される範囲が主催者等に限定されていないから、同条例により付与される条件の意味、内容が特に明確にされる必要がある、と説示しているが、しかし、所論のとおり、公安委員会の付する許可条件が特に明確にされる必要性は、同条例が地方自治法一四条により同法二条三項一号の地方公共の秩序を維持し、住民および滞在者の安全、健康および福祉を保持することに関し制定されたものであり、その制定の根拠、目的および公安委員会に対して与えられた権限により公安委員会が集団示威運動等を許可するに当り必要な条件を付与することにより犯罪の構成要件が補充されることに照らし、罪刑法定主義の原則から当然に帰結されるところであり、原判決の説示する理由から要請されるものではないものというべきである。しかし、もとより集団示威行進も憲法二一条の保障する表現の自由の行使の一形態であり、これが尊重されなければならないことはいうまでもなく、他面公共の福祉による制約を免れないところではあるが、宮城県公安条例により公安委員会の付与する許可条件は、地方自治法における前示目的のもとに同条例四条二項に定める「集団の無秩序又は暴力行為に対し公衆を保護する」ために必要かつ最少限度の事項に限られるべきことは当然であつて、この理は、所論指摘のいわゆる東京都公安条例違反被告事件に関する昭和三五年七月二〇日最高裁大法廷判決(最高裁刑集一四巻九号一二四三頁以下)が、「地方公共団体が……集団行動による表現の自由に関する限り、いわゆる『公安条例』を以て、地方的情況その他諸般の事情を十分考慮に入れ、不測の事態に備え、法と秩序を維持するに必要かつ最少限度の措置を事前に講ずることは、けだし止むを得ない次第である。」と説示していることからも当然であるといわなければならない。ところで、宮城県条例四条二項は、「前項の許可には、集団の無秩序又は暴力行為に対し、公衆を保護するため必要と認める条件を付することができる。」旨条件付与の要件を規定するのみであり、また同条例五条も違反者に対する法定刑を規定するにとどまり、構成要件上、特に地方公共の秩序に著しい障害や危険をもたらす等の結果の発生や、具体的危険の発生を要件としていないのであり、もともといわゆる公安条例は、集団行動が地方公共の秩序と住民の安全等に危険を及ぼす事態になつた場合、警察力をもつてしてもいかんともなし難い不測の事態に発展する危険が存在することから、そのような事態に立ち至る事前の段階において、秩序ある集団行動の実施を確保しようとするものであるから、そのような危険が具体化するまでは規制ができないとするならば、公安条例の存在意義が没却されることになるから、公安条例違反の犯罪の性質は、抽象的危険犯と解すべきことは所論のとおりである。しかし原判決は、これと異なる見解のもとに本件における公安委員会の付した条件の効力を論じているものでないことは、原判決の説示する文脈上おのずから明らかである。本件の各集団示威行進について宮城県公安委員会の付した許可条件は前認定のとおりであるところ、前示証拠によれば、所轄の仙台中央警察署長が道路交通法七七条三項に基づく許可に際し、行進隊列、隊間距離、各種道路における進行方法とともに、「蛇行進、うず巻行進……をしないこと。」または「だ行……をしないこと。」の条件を付与していることが認められるのである。ところで、原審第九回および第一一回公判調書中の証人佐々木繁男(宮城県警察本部警備課警備実施二係長)および同第一七回公判調書中の証人早坂冬男(宮城県公安委員会委員長)の各供述記載部分によれば、宮城県公安条例に基づく前記許可書に「旗竿、プラカードなどを支えにしてスクラムを組まないこと。」の条件を付したのは、棒、旗竿などを支えにしてスクラムを組むと蛇行進に移行することが経験則上明らかであり他の交通の支障を来すこと、棒、旗竿を支えにしてスクラムを組んだりすると、蛇行進、うず巻行進等の行為と相俟つて他の通行の妨げになるばかりでなく、蛇行進、うず巻行進等が激しくなり、人車等に危険を及ぼす蓋然性があるので、その防止を目的としたものであることが認められるのである。そして宮城県公安条例に基づく許可書に本件の条件を付するに至つた当局者の意図、目的が右のとおりである以上、前段説示の観点からすれば、本件において右許可条件とともに付された他の条件、すなわち、「兇器、戎器となるような竹、棒など携行しないこと。」とか、「鉄棒、こん棒、石、その他危険な物件を携行しないこと。」との条件の如きが公衆に対する危険性の高度のものとして、公安条例により付すべき許可条件としての必要かつ最少限度のものであり、道路交通法に基づいて禁止された蛇行進、うず巻行進等を単に予防するために付せられた本件の「旗竿等を支えにしてスクラムを組んではならない。」との条件はその範疇にはいらないものといわなければならず、被告人が蛇行進、うず巻行進をしたことによつて道路交通法に違反したとして有罪とされている本件においては、蛇行進、うず巻行進の前段階ともいうべき「旗竿等を支えにしてスクラムを組んではならない。」との許可条件に違反したことの故をもつて宮城県公安条例違反として処罰することは許されないものといわなければらない。もつとも、原判決が原判示第二の各事実について挙示する証拠によれば、本件各デモコースは、所論のとおり、仙台市内の中心街で一般通行人や自動車の往来が頻繁な道路であり、また東一番町通りの如きは、両側とも公衆多数の出入りする商店街であり、しかも路幅の狭あいな道路を含んでいたことが認められるけれども、このことは右認定に消長を及ぼすものではない。また所論が本件と同種の許可条件についての判例として指摘する東京高裁その他の諸判決は、いずれも道路交通法による規制との限界について判示するところのないいわゆる東京都公安条例違反の案件であり、本件とは事案を異にし、適切ではない。

叙上のとおりであつて、本件において被告人萩原が違反したとされる右許可条件は、道路交通法に基づく許可条件の領域に属し、宮城県公安委員会が本件において付し得る必要かつ最少限度を越えるものとして違法、無効なものといわなければならない。してみれば、原判決の本件についての無罪理由中には当審の見解と異なる部分はあるものの、その大綱については首肯でき結論において同一に帰着するから、原判決には所論のように宮城県条例四条、五条の解釈適用を誤つたものとは認められない。論旨は理由がない。

同第二(量刑不当)について。

所論は、被告人高橋、同萩原両名に対し、執行猶予の言渡をした原判決の量刑はいずれも軽きに過ぎ不当である旨主張する。

所論にかんがみ記録を調査すると、被告人両名は、いわゆる過激派グループに属する学生であつたところ、被告人高橋は、原判示第一のとおり、土田圭祐や本間周輔ら学生二〇数名と共にいわゆる仙台市市電北仙台線廃止のための関係条例の改正案等を審議する同市議会を傍聴しようとしたが、傍聴人受付事務責任者から定員に達した故をもつて入場を拒否され、傍聴人入口のガラスドアを閉鎖されたことに激昂し、右学生らと共謀のうえ、所携の角材や竹竿あるいは付近にあつた構内道路標識の鉄棒部分を右ドアの隙間に差し込んでこじるなどし、仙台市長の管理する建造物の一部である右側ガラスドア一枚を損壊し、次いで同市議会議事堂内の内玄関や廊下に侵入したほか、原判示第三のとおり、東北大学教養部反帝学生評議会主催の大学立法粉砕を目的とする集団示威行進に参加し集団が東北大学片平本部に帰る途中、指揮者の一人が警察官から逮捕される事態があり、さらに同本部北門付近において、他の警察官が学生を現行犯逮捕しようとして周囲の学生から暴行を受けた際、これを阻止しようとした私服の後藤巡査部長が学生らにつかまつて大学構内に運び込まれるや、学生数一〇名と共謀のうえ、同人に対し学生の逮捕に協力したものとして自己批判を要求し、これを拒否されるや同人を原判示の演習室や教室内に監禁したものであつて、右いずれの場合にも主導的地位にあつた者の一人であることが認められ、ことに原判示第三の監禁行為は、同第一の建造物損懐、建造物侵入事件で起訴された後保釈中に敢行されたものであり、かつそれが正当な警察活動に対する報復行為としてなされ、しかも学生部長から釈放を求められたにもかかわらず、その後もなお継続されたこと等各犯行の態様に照らせば、その罪責は軽からざるものがあるといわなければならない。また、被告人荻原は、原判示第二の一ないし三のとおり、前後三回にわたる集団示威行進に多数の学生らと共に参加し、所轄警察署長の許可条件に違反して原判示のとおり一般交通に著しい影響を及ぼすような通行形態で行列行進したほか、被告人高橋について記述した原判示第三の後藤巡査部長の監禁行為に当り同被告人その他の学生らと共謀し、ことに最後の段階においては、自ら後藤巡査部長にタオルで目隠しをし、高橋被告人と共に同人に対し執ように自己批判を要求したものであつて、被告人萩原もまた右各犯行の主導的地位にあつた者の一人であることが認められ、ことに監禁行為は、正当な警察活動に対する報復行為としてなされたものであり、右各犯行の態様に照らせば、これまた罪責軽くないものがあるといわなければならない。しかし、他面、被告人両名の本件各犯行はいわば群集心理にかられたものともみられること、両名とも前科前歴がないこと、ことに被告人高橋はすでに学業を去つて社会人として生活していることを勘案すれば、被告人高橋に対し、懲役一年六月、被告人萩原に対し懲役一年を科し、いずれも三年間執行猶予を言い渡した原判決の量刑は相当であつて、それが軽きに過ぎ不当であるとは認められない。論旨は理由がない。

よつて、刑事訴訟法三九六条により本件控訴を棄却することとし、主文のとおり判決する。

(山田瑞夫 阿部市郎右 野口喜蔵)

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